かつての「将来」とは「今現在」なのではないか | 天狼伝(アーカイブ) 天狼伝(アーカイブ)

かつての「将来」とは「今現在」なのではないか

やぁ諸君。伏村だ。

3月30日、伏村的に言うならば春休み最後の日だったりする。
明日からまた学校へと行き、新たな学生生活を始めるのだろう。

では、伏村の春休みの簡単な話と、タイトルについても触れていこうと思う。

Q. この春休みはどう過ごしたのか?
A. ゲーム三昧 and オフ

…うん、これくらいしか言うことないくらい何もしてないなw
ただ、何もしてはいないが割と色々なことを考えていた。

ので、上にもあるタイトルについて。

「将来の夢は〜〜です」

幼い頃によく言わされたであろうこの台詞。
幼さがなくなってからも、「生徒/学生」と呼ばれている間は基本的に「進路」として常に考えることになる「 将来の夢」というもの。

その「将来」 とはいつぐらいを指すのだろうか?
かつての幼かった頃の俺なら、やはり大人になった時を指していただろう。
いつ、人は大人になるのか?
誰にでも平等にある目盛りとしてなら、やはり成人だろう。

伏村は、現在狼年齢2歳である。その身体的に言うのならば、もう大人になっているのだ。
そのかつて言われていた「将来」とは、もうすぐここに来ている「今現在」なのではないか。
だが伏村は、かつて自分が思い描いていた「オトナ」の定義に当てはまっているのだろうか。

幼い頃の夢はコロコロと変わる。
俺の場合は小説家とか言っていた気がする。文才はご覧の通りないのだがw
今は、純粋に述べるなら芸術…創作方面に興味を示しつつある。
まぁ、厳密にはやはり定まってはいない、コロコロとしているのだ。

今、俺は「学生」という身分で生きている。
その場合での「将来」とはやはり卒業して、就職するところにあるのだろう。

俺の学生生活はまだ始まったばかりと言ってもいい。
と同時にもう1/4が過ぎたとも言えるのだが…。

もう俺くらいの年代になると割と明確な目標を持った人の方が多くなる。
俺の場合は、今ここで生活しているのも「目標を探すため」というスタート地点にすら立てていないのだが…。

伏村よ、お前は果たして「オトナ」になれたのか。
その答えをすぐに見つけなければならないのならば、オトナにならなければ駄目だというのなら、
俺はオトナにはなりたくない。

俺の答えは、『完全体としての伏村』になる、それだけだ。
そのための「将来」はいつでも俺の前にある。