The World’s on Fire

やぁ諸君、伏村だ。
前回の記事から少し間が空いてしまったことを申し訳なく思う。
というのも、緊急発令されたミッションを一つずつ堪能していたら精神的に疲れてしまったということがあってね。
あと、そんな中でなかなか音源をじっくりと聴きこむ充分な時間がなかったんだ。
さてそんな言い訳はさておいて、本題に入ろう。
発売日から1週間近く経過してるのもあってバリバリに暴走するつもりだ。
まず今回の話題は、何と言ってもMWAMの新盤『The World’s on Fire』だ。
発売日は2月10日、伏村はフラゲで2月9日にgetした。
そして聴き始めるわけだが、もう一つここで謝らねばならぬことがある。
伏村、もちろん歌詞カードに目を通すことはするのだが、その歌詞に込められた本質を、どうやら6割ほどしか理解できていなかったようだ。
今回は初めて…と言ったら本当に酷く聞こえるが、実際初めて一文字一文字読んでいったんだ。
(歌詞をデータ化しようとして手打ちしたのさ)
そしたら、どうやら初見での印象や捉え方がどうやら間違っていたことが判ってね。「オイオイオイ…」と自分に呆れたものさ。
と、また余計な話をしてしまった。
本筋に戻ろう。まず注目するのはそのタイトル。
「世界が火に包まれている…戦火か?」
これが素直な伏村の第一印象だ。
ここからゴリゴリに攻撃的なサウンドが展開されるのか、と勝手な予想をしていた。
しかし、その答えは真逆だった。
本アルバムの同名の楽曲から、それがわかる。
同封されている対訳カードからキーワードを抜き出すなら、
「世界中の心に火が灯った」
となるのだ。
つまり、(あらゆる問題の抽象的表現としての)戦火に包まれた世界の中で、心に火を灯した我々に、何がてきるのか?一緒に頑張ろうよ、な感じの、伏村の第一印象とは真逆の平和を望む楽曲だったのだ。
一種の反戦曲という位置付けで作られたのだろうか?と書くと余計な議論を生むだけなので、その解釈は各個人に任せるとして。
(もともとここは俺の心情を吐露するだけのページだからね)
かつてはその戦火の中心で暗躍していた彼らが、その過去と真逆の楽曲を作る、ということはなんだか面白い話だ。
一方で、想像していた通りのゴリゴリに攻撃的な曲も多く存在する。
本アルバムのジャケットはそのタイトルから連想される『炎』とは逆の『氷』なイメージを与えるものとなっている。
そのような感じで、時には暑く燃え上り、爽やかな風と共に駆け抜け、氷のように凛と張る…それが彼らがこの世に現れてから唯一変わらずにいる柱だとも、伏村は強く感じる。
そしてその相反しつつも共存する特徴は、このアルバムでも活かされているのだ。
今回は初めてお披露目となった楽曲にフォーカスしていこう。
まず伏村が今回特に気に入ったのはM1『Survivor』、M2『Waiting for the Moment』、M5『followers』、M6『The World’s on Fire』、M7『Give it away』、M9『Mirror Mirror』、そしてM13『ワンダーランド』だ。
…って新曲全部やないかい!!Σ
という一人ツッコミをしたところで真面目に語ります。
発売されてからは以上の新曲を特に聴き込んでいた(この記事を書くためにもな)。
そしてその中でかなりのヘビロテ率となった曲を3つ挙げるならM1『Survivor』、M5『followers』、M9『Mirror Mirror』だ。
もちろんさっきのボケはただのネタではなくかなり真面目にどれも良いものだと思っている。強いて言うなら、の話な。
伏村の好みというのもある。
M1『Survivor』はアルバム1発目というのもあってか自ずと聴く回数も増える。と同時に初見時に「やべぇクソカッケェェェ!」と全身に鳥肌を立たせながら叫んだ1曲でもある。
JKJ氏のRapもさることながら、特にMr.Tの「僕は誰の為でも無く〜♪」の部分に全ての感性を奪われた。
やはり彼の日本語を発する力は凄まじい。
またしても余談だが、よく言われる「ツインボーカルだったりコーラスやったりしているのに、何故会話できるのは1匹だけなんだ?」という問いに関する伏村流の回答は
・ボカロ理論
歌うことは得意だがおしゃべりは苦手でしょう?
・所謂『人造生命体』なのだからそういったプログラムもあってもおかしくない
といったところだ。
因みによくセンターボーカルの英語が…という声も耳にする(というか本人が気にしている)が、それに関しては彼は◯ク系の日本語特化型で、ギターボーカルは◯カ系だから英語も得意なのだろう、という妄想。
しかミ◯だって調kyもとい努力によって英語詞も歌えるように、彼もまた英語パートも歌いこなしている。流石究極の生命体。不向きでも可能にしてしまう。
そしてやはり日本語特化型だからこそ、JKJ氏によって繰り出される素早いラップ攻撃の中でズシリとくる『会心の一撃』を与えられる。
M5『followers』はよくシャッフル再生すると1番目に流れるので聴く回数が増えていった。
そしてこの曲は力強く熱い印象をもつMr.Tの爽やかさを感じられる曲だ。
この曲は英語パートをJKJ氏、日本語をMr.Tがメインとなって進行していくのだが、その時のMr.Tの爽やかな声。
彼自身にもある二面性が、やはり彼ら全体の特徴を強く表すのだろう。
またこの2匹のバランスがとても心地よい。
M9『Mirror Mirror』はMr.Tの「ミラミラ♪」に心を奪われた感じ。
…とここまで書いて気付いたが俺はMr.Tの声がそんなに好きなのか!?
好きなんだろうな。特に推し狼というものはないのだが。
(多分なんとなく気になる理由の一つに『Mr.Tパートの方がJKJ氏パートよりカラオケで歌いやすい』からというのもあるのだろう…)
と、もう1つこの楽曲が気になる理由があるのだが、それはとあるゲームに関係する。
『風のクロノア2』だ。クロノア2をプレイしたのはもう小学生の頃で記憶も鮮明ではないのだが、『ミラミラ大雪山』というステージがある。
因みにそのステージはクロノアBGMでも最も知名度がある!?レベルの楽曲『SteppingWind』が流れる。
本来なら「ミラー=鏡」なのだが、どうしても伏村の脳内は「ワッフー!ルップルドゥ!」となってしまうのであった。
そんな懐かしさからかもしれない。(えぇ…)
と、やはりいつものように長文駄文となってしたったが、ざっくりと伏村の感想を伝えられただろうか。
(本当は歌詞にも踏み込んだ話をしたかったけど、それやると連載レベルで三日坊主になりそうなのでやめておく。歌詞の方は諸君らの方で確認してほしい。)
ここで最後に、彼らと俺らのこれからの在り方について、少しだけ話したい。
M7『Give it away』はそのテンポの良さから盛り上がる曲間違いなしなのだが、その歌詞の意味は「もう好きなようにやっちゃいな!」というメッセージがあるとともに
「And every body goes Woh Woh=みんなそれで満足なんだろう?」
「Don’t waste my time=俺の時間を無駄にするな」
というかなりキツイ言葉も含まれている。
もちろんこれを「お前の人生の時間を無駄にしないで好きなようにやっちゃいなYO!」と捉えてモチベーションとすることも可能だが、これは彼ら自身の叫びなのではないかと伏村は感じた。
共感できる歌詞からの「俺たちがついている。だから大丈夫だ」「何度でも一緒に挑戦しようぜ」と励ますメッセージをよく盛り込む狼たち。
しかし、その「狼」であるが故の悩みというものは彼らにもあるのだろう。
この「我々はアイドルじゃないからね」…音楽ではなく、その人格(狼格?)に惚れ込む。
悪いことではないだろう。俺も彼らが狼であることで彼らの音楽を知り、そして彼らの音楽により人生が少し彩られた。
やはり同じように見た目から入ったファンもいるだろう。 彼ら自身もまた、その特殊性をもう一つの武器としていただろう。
しかし、一方で「キャラクター」としての希望が強くなりすぎたのだろう。
彼らはただ音楽をやりたい狼でしかないというのに。
「ゆるキャラみたいにしてりゃファンは喜ぶんだろ?」
「俺の音楽人生を無駄にするな」
…伏村には、そんな叫びのように聞こえた。
本アルバムは主にJKJ氏の「マイナスな感情」が主に練りこまれている、というのは雑誌情報だ。
特殊性を武器にできる反面、その特殊性が枷となる。
そんな壁をぶち破って世界征服を果たした彼らの作品を見てみたい、と思う伏村であった。
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