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愛犬との別れ

2018年9月26日 22:25、愛犬が死んだ。

ミニチュアダックスのレオナ ♂2001年7月16日生まれの17歳だった。

「その時」まで

大往生だったと思う。特に闘病生活を送ることもなく、その時が来るまで本当に何も問題はなかった。

今週月曜日までピンピンしていた。

そりゃあ、年寄りだからかあまり動かずにじっとしていることも多かったが、心踊るときは子犬のようにはしゃぐこともあった。

日付が変わった途端の火曜、急にレオナがおかしくなった。いや、急にとは言うが、前も似たようなことがあったらしい。レオナが家の中を徘徊しまくり、そしてにっちもさっちも行かなくなってワーワー喚いたことがあった。そん時は「なんだ爺さんボケたのか?」程度で、それ以外は普通そのものだったそうだが、今回はその徘徊からの喚きの後に、痙攣が止まらなくなったという。

僕は火曜の朝、親からその話を聞いた。

僕の現住処はペット禁止。レオナは実家で親と、もう1匹のミニチュアダックスのビビと暮らしていた。

僕は休暇ごとによく帰省していたし、この夏休みも実家に帰った。

レオナはと言うと、痙攣したり、それが治るとファーファー喚くことをずっと繰り返していたらしい。

だから親は深夜でもやってる動物病院を探し、夜通し面倒を見ていて寝不足だと言っていた。

その時はまだ親子ともに、若干の不安を抱えつつ、少しおかしいくらいだろうと思っていた。

一応、歳も歳だし少しだけ「その時」を意識したりもしたが。

そんなこんなで火曜は一先ず無事に終わり、水曜日になった。レオナはと言うとやはりまだ謎の発作はあったようだ。

そして、火曜には休みだった行きつけの動物病院に診てもらったところ、どうも血栓だろうということだった。レオナは心臓に少し問題があるということで、ステロイドを使っていた。しかしそれ以外は頗る健康そのものだった。

水曜の昼、レオナは日帰り入院をすることになった、と親から連絡があった。

場合によっては10月までに「その時」が来るかもしれない、と宣告もされたと。

僕は週末に実家へ帰ろう、と決心した。

幸い金曜日には授業を入れていなかった。もちろん、木曜の授業ですらすっぽかして行きたいくらいだったが、片道良くても4時間の旅は、そう簡単に実行するわけにも行かなかった。

遅くても木曜の夜には実家へ帰る。

それまでは僕はビデオ通話で見守るしかない。病院から帰って呼吸をするのがやっとなレオナを、ビビも含めた家族全員が見守っていた。

その頃には僕らも、「もしかすると…」という思いはあった。でも、まだすぐに諦めるのもどうだろう、と見守っていた。

しかし、結果は最初に書いた通り。

レオナは木曜日を迎えることはできなかった。

早かった。容態がおかしくなってからの「その時」まで本当に早かった。

あれよあれよという間に逝ってしまった。物音一つ立てずに、その呼吸は止まった。

対面

こちらのやることを済ました僕は、金曜日に実家へ向かった。

その翌日に行われる火葬を見届けるためだ。

レオナに異変が起きてから、徘徊させない為と通院する為に入れられていた箱は、そのまま棺となっていた。

そこにはかつてレオナが慣れ親しんでいた、おやつやおもちゃ、冬に着せていた服などが一緒に入れられていた。

どうやらそれらも一緒に燃やしてくれるらしい。

簡易的な祭壇も作り、僕はちょこちょこそこに線香を供える。

「本当に逝ったんだなぁ」と思いつつ、でも実際に目の当たりにしても、不思議とやはり悲しいといった感情は湧き上がらなかった。やはり、「お疲れ様、長寿で良かったね」というポジティブな感情だった。

土曜日 9:32

火葬場に来た。そこまでの道中は、父が運転し、レオナは僕が膝の上に抱えていた。

生前、死の直前には直接触れて支えてやることはできなかったので、死後、火葬台に載せるまでは僕が一番近くにいることにした。

その火葬場は、主に人間のための施設なのだが、ペットも焼いてくれる所だそうで、その立派な建物に家族で「良かったなぁレオナ、こんな良いところで」と話しかけた。

最後のお別れとして、ご焼香をあげた。

30~40分程で灰になるらしい。小型犬だからやはり早いのだなと思った。

「では、ご家族の方は控え室に」

それが、本当に犬の姿としてのレオナを見る時間の終わりの合図だった。

そして、レオナは灰になった。

人間の時と同じように、箸で骨壷に入れていく。

頭は綺麗に残っていたが、マズルが長い犬は入れ方を工夫しないと鼻先が出て来てしまうことを知った。

この様子だと、レオナよりスラリと長いマズルを持つビビはもっと大変だろうなぁ、とか考えながら頭蓋骨を何とか納めた。

数十分前は茶色い赤毛に覆われていたレオナは、真っ白い骨となった。

それからまた家へと向かう。その時も、レオナは僕が抱えていた。

レオナ本体とお供え物の入った箱を持っていた時は、生前と変わらず若干の重さを感じていたが、骨となった今はとても軽かった。

骨となった姿を見て何度目かの「あぁ、本当に逝ったんだな」と思った。

今は実家で、静かに安置されている。

そう、生前よくお気に入りのクッションで寝ていたように、レオナは静かに眠っている。

レオナについて

レオナは、僕が小1の時の犬であり、そして初めて飼った犬でもある。

名前は、当時ハマっていたPSのゲーム「スパイロ」シリーズ2作目に出てくる、雪豹レオナが僕は好きで、そこからつけた。

僕は転勤族だったから、その後転々と引っ越していったけど、僕の記憶の中にある最初の家で飼った犬だった。

だからレオナも常に一緒に、何処へでも引っ越した。

アメリカに住むことになった時だって、レオナは一緒に飛行機に乗って、アメリカでの生活を送っていた。

長時間飛行機に、しかもケージの中で過ごさなきゃいけなかったからか、アメリカに着いてすぐ、体調を崩した。(因みに僕も引っ越すと必ず体調を崩すジンクスがある)

レオナという名前が女の子の名前だというのは、渡米時にアメリカ人に指摘されて知った。

帰国の時は、レオナは僕らより少し遅れて帰らなきゃいけなくなって、その間は知り合いのアメリカ人家庭にホームステイしたこともあった。

僕が高校生の時、母が「今日から飼うから」と犬の写真を送ってきた。それがビビだった。

その時、レオナは一人っ子じゃなくなった。

「レオナとちゃんと平等に可愛がるんだよ」と言われ、そのようにするけど、ビビは嫉妬深いので、レオナを可愛がるとすぐに自分の頭を突っ込んできた。

ビビはレオナをしばしば虐めることもあった。レオナも少しは反撃すればいいんだが、年の差と運動能力の差でどうも押され気味になり、人間が介入してなんとか収めなければならなかった。

まぁ、ビビだってそんな、大きな怪我をさせるほどのことはしなかったが。

レオナが歳をとり、段差を登れなくなって、犬用階段を導入した時。

僕ら人間はついついソファを端へよかしてしまい、そうするとソファに登りたくて階段を上がったレオナが、ゴールのない階段で立ち往生して、人間の方を「おい、繋がってないじゃん。僕はソファに乗りたいんだ」と見つめてきた。

「この先繋がってないんだが?」

階段とレオナ、という組み合わせは常にシュールな笑いを生み出した。

ある時、祖父宅を大掃除することになって、僕と父、レオナとビビが祖父宅にいた。

父は階段の上の方で作業しており、僕は父に用があって階段へと向かった。

そこには、家の中を探索しようとして階段を途中まで降りたはいいものの、戻りたくなったが戻ろうにも階段を上がれず立ち往生していたレオナがいた。

レオナはフーンフーンと声を出して、父に気付いてもらおうとしていたが、父は作業に集中していて気付かず。

僕はなんだかそのレオナの姿から、上のようなストーリーを簡単に汲み取れてジワジワと笑えてきた。

レオナは、僕が近くにいたことに気付いて、今度はこちらを凝視してきた。

「気付いたね?さぁ、僕を助けるのです。」

そうして見てくる姿も相まって面白さが増してしまい、僕は思わず写真を撮ってしまった。

「さぁ、助けるのです」

これを母に送ったら母のツボにハマったようで、母の携帯に「神写真」というアルバムで一枚だけこの写真を入れたという。しまいにはこの写真がレオナの遺影になった。

今やそういったエピソードが新たに増えることはなくなった。

思ったこと

僕はというと、「その時」が来た時に、大きなショックを感じることはなかった。

それは、僕が変に冷静な所があるからなのか、物理的距離による実感の湧かなさなのか。

僕は一つだけ思った。

今の世で良かったと。

この技術の発達した今だからこそ、物理的距離があろうとも僕はレオナを看取ることができた。

後から親に「レオナが亡くなりました」なんて言われようものなら、それこそ僕は大きなショックを受けたことだろう。

それに、僕はレオナの死を肯定的に捉えてもいた。

彼は17年も生きた。月曜までは、本当に健康そのものだった。寧ろ、そこまで無事に生き抜いたことは誇るべき事である、と思っていた。

長寿、おめでとう。共に暮らせて良かったよ、ありがとう。