人のものを勝手に捨てることをミニマルしてるとは言わせない
僕のような一人暮らしならミニマルすることは比較的簡単だが、同棲していたり家族で住んでいたりする場合、ミニマルすることは難しく感じられるかもしれない。
今回は「自分はミニマルしたいが同居人とどうやって共存するか」について書いていこう。
鉄道模型の旦那さんの例
「鉄道模型の旦那さん」の話をご存知だろうか。
検索すれば2006年に2ちゃんねる(現在5ちゃんねる)に投稿されたとある主婦の書き込みがヒットする。以下引用。
802: おさかなくわえた名無しさん 2006/03/10(金) 17:32:24 ID:s2RHsW2o
コレクションについての話がありましたけど、私は夫のコレクションを捨ててしまって後悔した立場でした。
鉄道模型でしたけど。
かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした。
結婚2年目ぐらいから「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが、毎回全然行動してくれずに言葉を濁す夫にキレてしまい、留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました。
帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました。
残っていた模型も全部処分してくれたのですごく嬉しかったです。
でもその後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました。
会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり、今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって…
あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが、夫は服などの消耗品以外絶対に買わなくなってしまい、かえって私が苦しくなってしまいました。
これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです。
こういう場合ってどうしたらいいんでしょう。
正直なところ、全持ち物が衣装ケース2つに納まるというのは少し魅力的だが、この話の問題点はその「過程」にある。
この旦那さんが結果的にミニマルになってしまったのは、奥さんがコレクションの鉄道模型を捨ててしまったことから始まった。
こうして「人の物」を「勝手に」捨てることはミニマルライフではご法度とされている。
結果的に旦那さんは物の量こそミニマル化したが、おそらく旦那さんは感情や心までもを失ってしまったように見受けられる。
人のものを勝手に捨てると最悪このようなケースが発生しかねないので、人の物を勝手に捨てることは絶対にしてはいけない、良いね?
祖母「風邪ひいちゃう」発言
「馬を水飲み場に連れていけても、水を飲ませてやることができない」というように、人の物を勝手に捨てたり、無理やり捨てさせたところでその人自身をミニマル化させることはできないのだ。それは形だけミニマルにしただけで、ミニマリズムとはその人自身が納得して実践しないことには意味がない。
父方の祖母の話をしよう。最初の記事で祖母はマキシマリストだったことをお話ししたが、何度か魔窟と化したその家を整理整頓しようとしたことがあった。
ある時、アルバムを整理し、不要な紙類を捨て、僕らが手をかけた部分はすっきりとしたことがあった。
祖母はその光景を見てこう言ったのだ。
「風邪ひいちゃう」と。
本人はにこやかにそう言うが、果たしてどんな感情でそう言っていたのだろうか。
風通しが良くなった、というニュアンスで言いたかったようにも取れるが、「風邪ひいちゃう」と言われるとまるで悪いことでもしたように思わされる。
実際本人はすっきりとした空間ではなく、ギッチリと物がある、言い換えれば「豊か」にある空間の方が好きだったのだろう。
結局、祖母の家を片付けてやることはできても祖母自身を変える力は僕らには無いと言うことだ。そして祖母自身が変わらないためその後も家は更に窮屈に物を蓄え、祖母が亡くなるまでずっとどんどんと魔窟となっていくのであった。
ではどのようにして共存するか
同居人が物が多くて嫌だ、と言うケースはあるだろうが、それに関しては静観しているしかない、と僕は言おう。
無理に捨てさせるのは鉄道模型の例になりかねないし、捨てたところで本人を良い方向へ変えられる可能性はほぼ0に等しい。
できることとしたら自分の軸をしっかりと持つことと、それとなく、さりげなく「こんな生き方もある」と示すことだけだろう。
ここでポイントなのが、押し付けがましく言ってはならないと言うことだ。
ミニマリズムは今でこそそこそこ普及しつつある考え方だが、まだまだ「何あの人」「宗教みたい」と思われかねないジャンルでもある。
それに本人が「納得」して実践しないことには意味を成さないので、無理やり「ミニマリストになれ!」と洗脳しようとしても意味がないを通り越してただの「宗教勧誘の怖い人」としか映らないのである。
僕が実家にいるときに実践したことは、私服の制服化や自分の所有物の断捨離など、「自分」だけで完結することだけだった。
家族での会話の中で「あるミニマリストがこんな話をしてたんだ〜」程度には話題に出すが、別に家族をミニマリストにしようとはしなかった。
ただ、そうしているうちに元々シンプリストな母も部分的にミニマリズムを理解してくれるようになった。(なお父はマキシマリスト家庭に育ち、本人もマキシマリストの血が流れているので肩身が狭いのであった←)
よくミニマリストというと「怖い」「宗教みたい」「病気だろ」といったイメージを持たれやすい。それはあまりにも何も無い部屋というものが異質に見えるということもあるだろうが、「他人の人生もミニマリズムで良くしよう」という驕りでついつい他人に口出ししてしまうことも起因するだろう。
僕がこのブログやTwitterをやるのは、あくまで僕のライフスタイルや考えをただ紹介したくてしているだけで読者をミニマリストにしようとかいう考えはない。僕が書きたいから書いているだけだ。(もっと言うならこのドメインを思いついて取得し、有効活用したくてこのサイトを作ったという経緯だったりする←)
ミニマリズムとはその人自身で完結する、1つのライフスタイルに過ぎない。
ミニマリストにできることは、過剰に勧めず、無理に捨てさせず、粛々と毎日を生きることだ。