伏村 琉=狼について考えてみよう

ありがとうございます。
そんなわけで今年も無事に誕生日を迎えた伏村。
「この時からもう1年経ったのかよ!?」と自分でもびっくりしております。
祝福の言葉、ありがとうございます。
さて、今日の本題(え?)は「伏村って、自分のことをやたらと『狼』とかって名乗ってるけど、便乗じゃなの?どうなのよ?」な部分について少し考えてみたいと思う。
というのも、ここ最近やたらと「自称する人々」が叩かれ、蔑視される傾向にあるのではないかと思ったからだ。
例えば「意識高い系」→口だけであんま頑張ってないよね?www
「ミニマリスト」→やせ我慢…病気だろ…うわぁ
などなど。
(これらの例はあくまで伏村が見かけた反応をざっくりとまとめたものです)
これは少しばかり上記の特徴があるんじゃねーの?と感じている伏村としては、「やっべー、こう見えてるんじゃねぇの?」と感じる時があるからだ。
だからこそ、なのだろうか。伏村はここ最近あまり発言していなかったように思う。
(Twitterに出没する頻度が減ったり。ROMってはいました)
個人的な結論としては、「自称してしまうから周囲の期待値と己の事実との間に差ができてしまい、結果として『あいつ、言ってる割に大したことないよね』と思われてしまう」というものだ。
これが転じて、その人の努力や結果を無視して、単に自称している人を叩きたがる人が出てくるのかもしれない。
そうなると、伏村自身にもそのような疑いは少なからずあるわけで。
そもそも伏村には「狼としての適性」があるのかどうか。
まぁ…適性、という意味でなら現在の伏村に狼らしさ、というものはないだろう。
そこは素直に認める。
結局、頭だけの存在だからね、現状。(被り物じゃないからな?)
これに関しては、本当にあくまで見た目上、生物として己を「狼」と言っていると思ってもらえたら幸いである。
と、なるとその次の問題が出てくる。
「本当に人狼なら今頃研究対象の被験体001にでもなってるんじゃないの?」
という問題だ。
これについては、はっきりと言える。
「どれだけ俺が『被り物じゃなくてこういう生き物なんですよ』と言ってもあなた方、絶対『そういう設定でしょ』って思うでしょ?」
ということだ。
2015年現在、この人間社会にも多くの動物達、獣人達といった「人外」の存在が紛れ込んできた。
とても賑やかで、俺としてもとても楽しい(交流はないけど)世界になりつつあると思う。
だが。これは各人ならざる方々を否定するつもりは一切なく、自分がそういう者であるが故の意見だが、そうしてやってきた方々も、人間の心の中では「そういうキャラクター」という認識であるのだということだ。
しかし、だからこそ彼らは、そして俺も研究対象にならず、命を保証され日々己の姿、日常を発信できるのだと思う。
少なくとも、伏村は「まぁこういう説明しても結局作り物の頭ってことになるんだよなぁ」と思っている部分もある。
諦め?いや、むしろそれを利用して伏村は己が「狼」であると公言しているのだ。
…この記事を見た科学者とかに拉致られたらこえぇな…と今更なことを言ってみる。
ともあれ、そもそもこのページを見に来ている方や、Twitterを見ている方、そして実際に動いている狼な伏村を見ている方々が求めているのは、「人間社会に生きる狼野郎」以外のなにものでもなく、そしてそもそもの俺の活動テーマ(?)もそれである以上、伏村の人間形態がどうのなどという話は最初から求められていないのである。
(人狼なので、人間形態もちゃんとありますよ。え?だから中の人じゃないって)
イタイ?そんな今更。そもそも此処は大真面目に人狼を自称している者による謎のコンテンツなのだ。
少なくとも伏村 琉という一人の人狼の物語は、まだこれからも続くのだろう。
そんなことを部屋で一人考えながら酒を飲むのであった。
/i,/i
ミ,,゚(叉ノ{これからもよろしくお願いします)