剣の道とトラウマと
トラウマを斬り捨てろ
やぁ諸君、伏村だ。
今回は僕の中学時代について、少し語りたい気分なので書き綴ろうと思う。
きっかけは親が断捨離候補に、10年以上使われていない剣道セットを挙げたことだった。
「剣道の防具とか、もう着ないよね?捨てても良いかな」と。
僕はその時、ある考えが浮かんだ。
「このままトラウマを抱えたまま今後の人生を送りたくないな」
「剣道って、道場にや人によっては怖くなくて楽しいものだと思えるようになりたい」
そう、僕は剣の道に対してひどいトラウマを、かれこれ10年以上抱えている。
以後トラウマをグチグチと話すだけなので読みたくない方はここでブラウザバックでも構わない。
誰も読まなくとも僕個人がアウトプットしたかっただけだから。
きっかけの話
中学時代、僕は剣道部だった。
幼少の頃から刀剣が大好きだった僕は、高校生になるまで刀剣(のおもちゃ)コレクションを大量に持っていた。
(高校になってからはとても格好良い模造刀を1振り所有することにして、他は手放した)
そんな僕は小学生の頃からこう言い続けてきた。
「中学生になったら剣道部に入るんだ」と。
そうして僕はそのまま順調に憧れの剣道部に入部した。
最初は楽しく剣道をやっていた僕だったが、ある人物との出会いで僕のメンタルはおっ死ぬことになる。
外部コーチのスパルタ指導
外部から来ているコーチだ。
最初の印象は「気のいい面白いおじさん」だった。小粋なジョークをかます姿に、面白いことが好きな僕は妙な親近感を抱いてもいた。
しかし、稽古が始まるとその人格は変貌する。
怒号をあげ、生徒を竹刀でぶん殴る、蹴飛ばす。
恐らくこんな体罰にも似た指導はどこでもあるものだったのだろうが、アメリカ在住時に”Good job”と褒められて伸びて育った僕にはとんでもないカルチャーショックだった。
正直なところ、僕個人が直接何かされたかといえば、それは少ない(一応あるにはある)
主なターゲットは他の、小学校から道場通いしていた経験者たちだった。
「何でできないんだ」「何回言われたら分かるんだ」
そう怒鳴られながら生徒たちは吹き飛ばされる。
僕は怒鳴られると一瞬で怯み、涙がボロボロと溢れる性分だ。
最初はその叱責にも耐えていたが、涙だけは止められない。
「お前は泣くために剣道部に入ったのか⁉︎」
そう怒鳴られるが勿論こんなことの為に入部したわけではない。
しかし怒鳴られる為に入部したわけでもない。
そう言い返せれば良かったが、子供の頃の僕の中に強くあった考えは「先生の言うことは絶対、反対意見を言うなんてとんでもない」ということだったので、とてもとても言い返すことはできなかった。
もう僕の心は入部してすぐに恐怖心でいっぱいになったが、親にも口酸っぱく「3年間やれよ、やり通せば自信にいつかなるから」と辞めることは許されなかった。
僕は最初こそ何とかしがみ付いていたが、椎間板ヘルニアで腰を痛めてからこれ幸いと病欠による見学をしまくるようになった。
腰が痛くなくともストレスで腹痛が来る為、それも何度も逃げる口実にした。
結果的に自信にもなったといえばなったが、一方で受けたダメージの方が遥かに大きかった。
他の生徒への影響
暫くすると見学者は僕以外にも大量に出てきた。
実際に腕を痛めたり、膝を痛めたりしている生徒もいた為、やはりあのコーチのやり方は問題もあったのだろう(と思いたいだけ
果てには参加者<見学者という日も多くあるようになった。
ある日、部員がこんなことを言っていたのを聞いた。
「自分に子供が生まれたら剣道やらせるんだ。だって自分がこんな苦労してるのに子供に楽させたくない、同じ苦労を味合わせるんだ😤」
それを聞いた他の部員も「そうだそうだ」と盛り上がる。僕はドン引きしていた。
むしろ自分なら剣道は本人が望まない限りやらせたくないとまで考えていた。
その部員にそんなことを言わせるほど、”稽古”というものは苦行だった。
身を犠牲にしたかった話(※陰鬱注意)
最初に言っておくが、この項目は特に陰鬱なため、ここだけ飛ばしてもらっても構わない。
一方で良かった話も一種の清涼剤として最後に書いてあるのでそこだけさらっと読んでいただいて構わない。
毎週末の稽古が憂鬱な時間となっていた僕は、途中で自✕を何度か意識するようになる。
とはいえ、痛い苦しいのは嫌な僕なため、実行したのはゆるい行動ばかりだったが(苦笑
以降陰鬱なため少し字を薄くするが、シャンプーを飲む(気分悪くなるだけ)、手拭いで首を✕ろうとする(手拭いから剣道部を苦にしたのだと気づいて欲しかった)などなど…。
しまいには、「お前を✕して俺も✕ぬ!」という妄想に取り憑かれて、カッターを鞄に忍ばせてもいた。結局ヘタレなので実行には移さなかったが(それ正解🙆♂️)
毎日コーチへの殺意と、週末が来る絶望感でいっぱいだった。
僕にとって中学時代とは、暗黒の時代とも言えた。
余談になるが唯一、親友と組んだ漫才コンビで共に駆け抜けた青春のおかげで僕は何とか人間として生活できていたし、こんな中学時代でも大切な思い出として捉えることができた。
(今も友人関係は続いており、本当に感謝しかない🙏)
剣道との別れ
剣道は段級位制がある。中学から始めたなら順調にいけば1級→初段→2段と取れる。
僕も例に漏れずまずは1級を目指したのだが、やはり普段サボっている為受かるわけがない。
3年間やってきて最後の最後に取れただけでも良かったというべきところだろうか。
やっと引退できる時になったが、親には「高校生になっても、2段取れるまではやりなよ」と言われていた。
実際は、特進コースに入ったため勉強詰で、更に高2で行った留学の準備も進めなくてはならなかった為、運動部に入る余裕など無く剣道部はそれっきりだった。
(正直、「やったー!」と内心喜んでいた)
高校は高校で、当初思い描いていた人生の未来図が大きく変わるほどの精神的ショックと人生のドン底を味わうことになるのだが、そんなことも知らず僕は高校生活を満喫していた。
しかし、後に専門家が「あなたの本来の性格はこんなものではなく、もっと他人を気にしない大らかな、あっけらかんとしたものの筈だ」と言われるほど僕の性格は中学時代を機に大きく変わっていた。
居合道への挑戦
剣道、そして道場に対して強いトラウマ意識を抱えた僕は、それでも刀剣への憧れだけは忘れなかった。
前述したように刀剣コレクションを持っていた僕はそれらを手放し選び抜いた模造刀を1振り所有し、それを素振りするなど刀剣自体はやはりまだ好きだった。
ある時、剣道ほど激しくはないイメージのある居合道に興味を持った。
剣道ではないからトラウマもそれほど深くはないかな、とも思っていた。
しかし現実は甘くなかった。
1度道場へ見学に行ったのだが、やはり道場という雰囲気で僕は当時を思い出し、脳内では怒号が響き渡った。
実際の道場はもの静かで、ほんわかとした雰囲気だったにも関わらずである。
僕は自分のトラウマが深く大きいことに気づいた。
剣道をやったメリット
ここまで剣道部で苦しかった、という話をつらつらと書いてきた。
一方で剣道をやったことでのメリットもあった。
それは大学での留学時に剣道を紹介、披露して「格好良いね!」と言ってもらえたことである。
前述したように僕はアメリカに住んだ経験があり、そのおかげで中学時に英検2級を取ることができた。そんなわけで多少英語力があった僕は高校、大学とその英語力を鈍らせないように留学をしまくっていた。その大学は高校入学時に思い描いていた進路(アメリカの大学へ推薦してもらって進学)ではなく、高校時代に病んだことによりやむなく変えた進路だった。
その「格好良いね!」の言葉に僕は、これまでの人生が肯定されたような、何だか報われたような感覚になった。
Steve Jobs氏の言葉を借りるなら”Connecting the dots”、「点と点を結ぶ」、まさにこれだった。(MWAMもフォーカスライトで同じことを歌っていたな)
アメリカ在住から得た英語力という点と、そして中学時代の剣道経験という点、そして高校で進路変更をしたという点が大学の留学により線となった。
僕の中の何かが成仏したような気持ちになった。
そして前を向く
大学在学中も、卒業後も、何度も剣道部の悪夢を見た。
内容は常に一緒で、「剣道部から逃げる」というものだった。
最初は逃げることに精一杯だったが、次第に何とか逃げる、もしくは剣道部に復帰するエンディングを迎えるようになった。
僕は今でも、愛刀を素振りしている。それは筋トレを兼ねたものだがやはりまだ刀剣が好きな気持ちからしているのだろう。
剣道セットはもう10年以上触ってもいない。そんな中での親の提案だった。
剣道セットを手放せば、もう剣道をすることもないだろう。
僕個人としては手放しても問題はなかった。
しかし、一方でこんな思いも生まれた。
「剣道と和解したい」
今後何年生きるかはわからないが、人生100年時代と言われている世の中だ。
まだ僕は20余年しか生きていない。恐らく生きるであろう今後何十年も、このトラウマ意識を抱えたまま生きるのか、と考えた時に、強い拒否感が出てきた。
最後に1度、剣道に挑戦したい。そして剣道への恐怖心を取っ払いたい。
きっと今の時代はあの頃よりマシになって、あんな体罰はきっとないだろう。されたら素直にそこを辞めて別の道場へ行けば良い。
あの頃は兎に角逃げ場がなかったし、逃げる術を知らなかった。でも今は僕も大人になり、逃げる術を覚えた。
逃げながらも、前へ1歩ずつ、トラウマを揉み解して生きていきたい。
いつになるかは決めてないが、既に再挑戦へと動き出している。
不思議とワクワクした気持ちがある。剣道のことで前向きになったのは小学生以来だ。
次に良い報告ができるよう、頑張りたい💪🐺
相変わらずの長文となったが、ここまで読んでくれてありがとう。