きっかけの話

目覚め
僕個人がこのような、「持つものを選ぶ」考えに目覚め始めたのは、2015年ごろだったかと思う。
その当時は「断捨離」の後に「ミニマリスト」という言葉がメディアに取り上げられるようになり、僕も妙にそのような生き方が気になっていた。
だが、当時ミニマリストと言われると必ず引用される、「家具の1つもない部屋」というようなレベルの持たなさは「いや、流石にちょっと…」と思いその時点ではまだここまで傾倒はしてなかったように思う。
しかしそれから3年が経ち2018年、僕は完全にミニマリズムに魅入られた、と言ってもいい状態になる。
今になって思えば僕がそういう「所有を減らして身軽に生きる」スタイルに魅入られるのは仕方のないことだったのかなと思う。
マキシマリストな祖父母
ここで祖父母の話をしたい。
僕の父方の祖父母はモノを買うのが好きだった。
たくさん買ってはそれを周りに配ることが大好きだった。
あれは恐らく「いつもありがとうね」と感謝されてモノを配る自分たちは凄いのだ、と自分に価値をつけたかったのかと思う。
だが、在庫が無くならないのに次から次へと「腐るモンじゃないし大丈夫」と買い足し、もう僕が物心ついた頃には祖父母の家はギッチリとしていた。
かつて家族で囲んだダイニングテーブルは物置になり、その近くに置いていた食器棚へのアクセスは全くできなくなった。
部屋や床下収納や天井裏に置ききれなくなれば今度は床にどんどん積み上げ、階段も最早SASUKEのようにアクロバティックに登らなければ2階へ行けない。
スーパーで貰った割り箸を溜めて使うのはまだ理解できる。
それを「まだ使えるから」と洗っていつまでも使い続ける。
だから割り箸も減らずに増えていく一方。それなら普通の箸もあるのだからそれを使えば良くない?
お手洗いに貼ってあった「古いものを捨てなければ新しいものは入ってこない」の紙も虚しく、古いものも新しいものも家にごった返していた。
そして「息子(父)が片付けるの大変だ」と言う。だが家にモノを入れることはやめない。
一種の買い物依存だったのだろう。そんな老人に無理にモノを捨てさせるのも大変だし、生きがいを奪うのも…と僕らは静観した。
祖母の死後は祖父を老人ホームに入れることにし、祖父母の家は貸家にすることにした。
もちろん、そうするためにはモノの山を片さねばならない。
今の時代は便利なもので、業者にお金を払って頼まなくても(結果的に一部ゴミは持っていってもらった)メルカリやジモティーで人に譲ることができる。
そんなこんなで祖父母の家は今は人に貸せるレベルになり、実際もう人が住んでいる。
そんな祖父母を見て育ったので、「こうはなるまい」という意識が昔からあった。
僕のミニマリズムへの傾倒の理由は祖父母を見た反動なのかもしれない。
とにかく祖父母のようにはなりたくない。
僕の母もまたシンプルに生きたい願望があり、そのために家を綺麗に保とうとする人なため、そんな母の影響もありよりそういったシンプルな暮らしに憧れるようになった。
そんな中でのミニマルブームである。かつてシンプルライフ寄りで断捨離を(狼系以外は)実行していた僕も気付けば完全にミニマリズムの虜となった。
僕もまたコレクターだった
しかし、ミニマリズムに目覚める前の僕はコレクター気質だった。
子供の頃はたくさんの犬のぬいぐるみに囲まれていたし、旅行先でよく刀のおもちゃを買ってもらっていたし、そして高校生以降は狼グッズを買い集めていた。
犬のぬいぐるみも刀も「これだけは」という1個に絞ってそれ以外は手放したが今もその気質は変わっていない。
かつて僕がハマっていたアニメ『魔法少女まどか⭐︎マギカ』の話をしよう。
当時の僕はアニオタと言うほどはハマっていなかったが、このまどマギにハマっていた。
劇中のキーアイテムとして『ソウルジェム』と言う宝石がある。
それがある時グッズとして主要キャラ五人分販売された。
僕はと言うと、そのソウルジェムが並んでる様を妄想して、どうしても欲しくなったため1個¥3000(税別)、計¥15,000もの大金を出してソウルジェムを揃えた。
それから何年かは机の上で眺めて悦に浸っていた。
だが、それも長くは続かない。佐々木典士さんの『ぼくたちに、もうモノは必要ない』から借りると「慣れ」→「飽き」てしまったのである。
僕がミニマリズムに目覚めて、じゃあ何から手放すかを考えたときに、ソウルジェムがよぎった。もうまどマギへの熱はあの時ほどはない。ソウルジェムを見ても「ときめく」事は無くなった。ソウルジェムは十分「コレクターズアイテム」としての働きを終えたのである。
ただ捨てるのはもったいないから、と苦労してフリマアプリで売り捌いた。
この件以来、我が家ではこのようにあるコンテンツへハマり、コレクションしてやがて飽きて手放すことを「ソウルジェムる」と言うようになった。
その件からソウルジェムらずに生きているかと言うと、実はまだソウルジェムっている。
しかしミニマリズムとは反省と失敗の経験から積み重ねていくものだと僕は思っているので、しっかりと「手放す理由」を考えて次へ活かしていきたいと一応は考えている。
一方で、まず手放さないだろうなというコレクションもある。
まずは狼バンドMAN WITH A MISSION(以下MWAM)のアイテム達である。
音楽はストリーミングで聴けるようになった今の時代でも、僕はMWAMのCD、Blu-ray、アナログレコードはまず手放す事はない。MWAMは生涯をかけて応援するバンドだと言っても良い。何故そう言い切れるのかというと、僕はかつてMWAMに救われたからだ。敬愛するMWAMがリリースした全ての円盤を所有したい、ライナーノーツを読み返したい。まぁ、「手放さなければ○す!」と言われて刃物を突きつけられれば流石に手放すけどね。
そしてもう1つ手放さないコレクションは、狼ぬいぐるみたちだ。Louは狼である。狼とは本来群れで生活する生き物である。
ぬいぐるみ達はまさに僕の「群れ」だった。動物園の物販で出会った(1匹例外あり)19匹にまで膨らんだ群れのメンバーは、全員に名前と出会ったときの思い出がある。
狼アイテムもちょこちょこ断捨離し始めている僕だが、これだけは断捨離しないと心に決めている。(同時にそろそろ群れの拡大もやめておこうかと思っている)
まぁ、(以下略)
僕の持ち物、特に狼関連のものは他者から見れば即行で断捨離対象だろう。
しかし僕はそれらを命の次に手放すつもりはない。まぁもし本当に手放さなければならない時が来たら執着せず手放すが。今ではないだけだ。
それは佐々木さんの言う「コレクション=自分」という最たる例なのかもしれない。
しかしそれらを見ていると心安らぎ、ときめく。そんなアイテムを無理に断捨離することもないのかなと。
勿論過剰に溜め込むのも考えものではあるが。
僕は狼アイテムコレクターな狼ミニマリスト、それが「オオカミニマリスト」たる所以だ。