方丈記に憧れて | 天狼伝(アーカイブ) 天狼伝(アーカイブ)

方丈記に憧れて

1212年に鴨長明によって書かれた『方丈記』。これが読み解くととてもミニマリズムに溢れた書物だった。

方丈記とは

前述したように鴨長明によって書かれた本である。
前半は彼が体験した災害、人災をありありと記したルポタージュであり、後半はそこから得た気づきとともに生活をどう小さくしていったかを思う存分語っている。

僕が今回注目したのはこの後半部分である。
鴨長明は方丈=4畳半の組み立て式モバイルハウスに住んでいた。自然を愛した長明は日野山の麓に住んでいたという。
組み立て式だから牛車2台で引越しができる。何か気に食わないことがあれば即引越せるというわけだ。

彼のコンパクトへの拘りは家だけではない。
自然だけでなく音楽も愛した長明は琵琶と琴を持っていたが、それも折り畳み式だったり組み立て式だったりと持ち運びに苦労しないアイテムを所有していた。

彼が所有していたものは大きく分けて3種類のものに分類できる。
1つ目は生活必需品。
2つ目はお坊さんであったが故に持っていた仏教関連のもの。
3つ目は前述したように音楽に関するものだ。
しかしそれらもあくまで必要最小限である。
彼の身軽さへの拘りぶりがよく見て取れるだろう。

何故そこまで身軽に拘ったか

この謎は前半のルポタージュの部分から知ることができる。
彼は若い頃に大火災、竜巻、飢饉、大地震、都の遷都を経験した。
特に大火災の項で彼はこう述べている。(ざっくり意訳)

「人のすることはみな愚かなものだが、失う危険もはらむ都の中に大金をかけて家を作って心を悩ますことは、とてもどうしようもないことである。」

後半のミニマルライフからも見て取れるように彼は「家」への拘りが強かった。
それは「住む人もいづれ死んで住めなくなるし、そうでなくともこうして災害で失う恐れもある家にそんな見栄の為に大金払う必要性はないだろう」という考えだ。
彼は自分の家についてこう述べている。

「夜眠るところがあって、昼にリラックスできる場所もある。狭い家だが不足はない」

彼にとっての「家」とは「雨風凌げることが1番大事。次に大事なのは住む人の足枷にならないこと」であるのだ。
だから彼は家をとことん簡素な作りにし、仮に災害で崩れようともまた再び立て直せるシンプルな作りにした。
そうして「見栄の為に住む家」ではなく「必要最低限の暮らしをする為に住む家」という役割を家に与えていたのである。

他にもミニマリズムが見え隠れする鴨長明

彼は世の中に絶望すらしていた。そして世の中の面倒なことから脱却したくて仏の道に入った。

物への執着を捨てて必要最低限の物と、心を豊かにしてくれる物を少しだけ持った。
人間関係も真に友と呼べる人(齢10)と仲良く自然を愛でた。
特に人間関係について彼はこう嘆いている。

「友人関係とはその人の本質を好いて付き合うのが良いと思うのだが、実際はその人の能力や財力による損得勘定で友人付き合いをする人ばかりだ」

近年のミニマリストはだいたいが「身軽になりたい」「煩わしさから解放されたい」と様々な余分な物を削ぎ落として物事の本質を大事にしようとする人が多い印象だ。

それで行くと鴨長明は少なくとも日本においての元祖ミニマリストとも言えるだろう。
彼は度々「他人の評価なんか気にしねー」と書いているが、それだけ彼の生き方は一般的には仙人のような、世の幸せとは別のところに幸せを見出す別次元の生き方のように思われたのだろう。
そんな生き方が令和の時代にこういった形で評価されるとは、長明自身もビックリだろう(笑

無常感と執着と

住む家の豪華さや見栄に執着しなかった長明の根底にあるのは「無常感(物事は移ろいやすく儚いという考え)」だった。

どうせ都に住んでもまたいつ災害で家が失われるかも知れない。それならいくら見栄張って豪勢な家に住んでも意味などないのではないか。
そういう思いから彼は倒れても倒れてもすぐに立て直し可能なコンパクトな家に住み続けた。

モノの数も最小限、土地にも縛られず人間関係にも縛られず、執着なく生きてきたように見える鴨長明。
しかし、彼は大きな執着をその内に抱えていた。

彼はお坊さんである。
仏の道では「執着を捨てよ」とある。
鴨長明はそこで新たな悩みを得ることになってしまった。

どんな執着か。
それは「その生活」そのものへの執着である。
俗世の人が一般的に持つ執着こそ持たなかったものの、彼の質素倹約なコンパクトな暮らしへの執着は凄まじいものになっていた。

方丈記の最後の最後に唐突に記されたその苦悩。
結局彼はその悩みへの答えを見つけず、唐突に筆を置いてしまう。
「あれこれ特に役に立つわけでもない、暮らしの楽しさとか語ってきたけどこれって意味あったのかな」と。

うっそだろ、ここまで「俗世間のしがらみを捨てた生活良いぞ〜。コンパクトな暮らし良いぞ〜。」と書きまくっていたのに、ここに来てここまでついてきた読者を切り捨てるとは。

まぁ鴨長明ももしかしたら日記的に書いただけでこんな広く読まれようと思ってなかったのかも知れない。

まぁ、これも1つの「無常」なのかも知れない。
物事は全て移ろっていく。全く同じ状態というのは永遠には続かない。必ず物事には終わりがある。
彼の執着ない生活は快適であればあるほど新たな執着として長明をその生活へと縛り付ける。

ミニマリスト病

これはまるでミニマリストが陥る悩み「ミニマリストという肩書きに縛られる」に似ているように思う。

「自分はミニマリストだから○○を所有してはいけない」「買ってはいけない」「もっと捨てなければ」
これは「ミニマリスト=モノの数が少ない」というイメージの人が陥りやすいのだろうか。

本来は綺麗な空間で、モノに縛られず、煩わしいことを捨て、身軽で自由に生きたいとか、そういった何かしらの「人生を良くしたい」という目標があってなったはず(まぁ単純に物欲がなくて自然とモノが少ないタイプもいるだろうが)のミニマリストの筈なのに、いつの間にか「ミニマリストの定義」にガチガチに縛られて不自由な生活を強いられているという図式だ。

少し前に「ミニマリストやめます」と題された動画がYouTubeに大量に出ていたがこれもそういった「ミニマリストを名乗ることで逆に窮屈になった」という人が多かったのではないかと思われる。

僕?多分イメージされるミニマリストよりモノは多いし、なんなら精査はするけどコレクターだしできっと「お前がミニマリスト名乗るな!」と言われそうなタイプのミニマリスト。でも実際生活にミニマリズム取り入れてるし多分非ミニマリストより(狼以外の)モノの数は少なめだと思う。

脱線したが、鴨長明はコンパクトな暮らしを実践し、「執着なき生活」を求めていた筈が、いつしか「執着なき生活に執着する」という事態に陥ってしまった。
これはいろんなしがらみを捨てたくてミニマリストになった筈が、「ミニマリスト」であることでまた縛られるというあるあるに似ている気がする。

鴨長明…約800年前にミニマルな暮らしに目覚め、そして「ミニマリストあるある」の境地に辿り着いていたとは…やはりこの人が日本において元祖ミニマリストだろう。

方丈記を知るのにおすすめの本

さて僕は方丈記に関する本をKindle Unlimitedを使用して何冊か読み、特にお勧めの本を2冊選んだ。

ネコと読む『方丈記』に学ぶ”人生を受け止める力”
話し言葉で読める「方丈記」

何せ僕は古文が苦手なので、原文そのままではザックリとしか読めない。
特に『ネコと読む〜』は要所要所を分かりやすく解説してくれていて分かりやすかった。
『話し言葉〜』も原文のニュアンスに色々意訳をプラスして書き直したことで噛み砕きやすくなっている。

Kindle Unlimitedなら1ヶ月¥980で対象の本が読み放題なので活用してみてほしい(別に案件とかではない)